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クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」にRADIOHEAD「Paranoid Android」が唾つけた「時代の未解決事案」とは?

2018年11月23日

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ボヘミアン・ラプソディ、その完璧すぎるストーリー

QUEENの超名曲「ボヘミアン・ラプソディ」。
映画によって再び脚光を集めているが、古くからのファンには
今更語ることのない、音楽史に残る超傑作であることは言うまでもないだろう。

曲は

「ママ、人を殺してしまったんだ…」

という一節から始まる、ある一人の登場人物
・・・とりあえず、主人公と呼ぶことにしよう・・・
の独白から始まる。

この主人公は、恐らく犯罪なんて起こすようなガラじゃなかったんだろう。
曲の表情は、登場人物の後悔の念と、それでも自分の罪をきちんと受け入れようとしている、
諦めと諦観の入り混じった重々しい気持ちを、
驚くべき表現力できっちりと聞き手に伝えきってしまう。

キタガミ
キタガミ

なんて泣けるバラードなんだ😢

と私は、この曲を聞いた当時、拙い語彙力で感じたもんだ。

しかし、曲は途中で一変。

なんだかよくわからない歌詞。
オペラの一場面のような、オーケストラチックな曲調。

キタガミ
キタガミ

なんだなんだ?
ムショに収容されようとしたその時、
主人公の頭がパニクり始めたのか?

すると、ドラムが曲を盛り上げた後、
一気にメタル調の曲調へ!

はっきりと語られてはいないが、
恐らくここで主人公は自分を押さえている警官の手を振り切って逃走したのだろう。

でも、それは叶わなかったことがわかる。
曲調はまたすぐに、元のバラード調に戻る。
やはり、主人公は現実を受け入れるしかなかったのだ。

「どのみち、風は吹くのさ…」

大波乱だった曲は、謎の多いドラの一発で静かに幕を閉じる。

再び主人公は逮捕されたのか、逃げ切ったが力尽きたのか。
その想像の余地があるのがまたおもしろい。

音楽をよくわかってる人も、わからない人も全員虜にした怪物

といった具合に、この曲が人々を虜にする要素は、
その展開のドラマチックさだ。

もっとも、詩がドラマチックな名曲はたくさんあるが、
ボヘミアン・ラプソディの革新的だったところは、
曲の表情まで劇的に内容に合わせて変わるところ。

そして、その完成度が無駄な音が一つもないほど完璧すぎること。

正直、このような曲はボヘミアン・ラプソディ以前にも、
プログレッシブロックというジャンルでたくさんあった。

だが、プログレにおいては、あくまでロックの可能性を追求して拡張するのが主で、
そのために曲の多彩な展開が使われているに過ぎなかった。

しかしボヘミアン・ラプソディは、そのドラマチックな内容を表現しきることが主で、
その結果、大胆な曲の展開を使っているという点だ。

つまり、ボヘミアン・ラプソディが表現したかったのは
純音楽の広大さ・難解さだけはなく、
誰もが共感でき、心から浸れる劇的なストーリーだったということ。

結果、この曲は誰もが認める超名曲となったのだ。
しかも、純粋に音楽としての出来も文句のつけようがない。

キタガミ
キタガミ

音楽マニアも認めざるを得ないね

ボヘミアン・ラプソディに「唾をつけた」paranoid android

さて、時代は進んで、ボヘミアン・ラプソディを目指したと
はっきり公言する一つの曲が現れた。

それがRADIOHEAD「paranoid android(パラノイド アンドロイド)」だ。

・・・
・・・・
・・・・・

時は90年代後半。

21世紀に入ってからすっかり珍しくなくなった、
「引きこもっていてなよなよしている、(当時の)社会に適合できない半端な若者」
が、少し世間の脚光を浴び始めた頃だ。

私は80年代生まれなので、それ以前の社会の空気をあまりよく知らないのだが、
そのような時代は、「社会に適合しようとしない」という事は、
それだけで人でなしのように見られたのだろう。

ともかく、である。

RADIOHEADは、揃いも揃ってオタク童貞な雰囲気をまとい、
旧来の時代から見たらつまはじきにされそうな奴ばかり。

だが彼らはアルバム「Bends」ですでに当時、一定の商業的成功を収めていた。

彼らには、発言権が与えられていたのだ。要は「期待の新人」。

そんな中、待望の新作としてリリースされたアルバム「OK computer」の中の一曲、
それが「paranoid android」。

まだ聞いたことがないという方は、
ボヘミアン・ラプソディをリスペクトしているということで、
どうか一度聞いてみていただきたい。

ただし、リスペクトしていると言ってもそれは、決して行儀のいいものではないが。
PVは、アニメーションながら、かなりショッキングな表現もあるので、見るときは注意してほしい。

↓残虐表現が嫌だな、という方はこちらのライブ版をどうぞ。

インターネットという武器をまだ持たなかった若者の無力、憂鬱を描く

この曲は、どうだろう?

ボヘミアン・ラプソディのようなストーリーの美しさはない。
ストーリーありきでもなく、ボーカル「トム・ヨーク」の、個人的な感情をベースにした、
シニカルな世界観が広がっている。

要は、RADIOHEADはボヘミアン・ラプソディの、曲の多彩な展開に感銘を受け、
その上に自分らの表現したかった「独白」を乗せたのだ。

社会不適合者が、自分の居場所を確立するためのやせ細った言葉を。

そこには、フレディ・マーキュリーのような、雄々しさをたたえた健康的な肉体はない。
部屋に閉じこもり、一人でネットを見ながらリア充を恨めしそうに眺め、
SNSで影響力を縦横無尽に見せつけるインフルエンサーに対して、
アンチリプ毒を吐くようなカテゴリの人間だ。

neet_erasou

ボヘミアン・ラプソディ愛好者から見たら、
「そっちに行くのかよ」
という思いもするだろう。

この、極めて閉じた世界観は、今でこそ珍しいものではないが、
当時はものすごく画期的だった。

日本では、エヴァンゲリオンの成功がこれとダブって見える。

今でこそ、エヴァンゲリオンは新劇場版で、主人公の碇シンジは
ポジティブベースな性格にややリファインされたが、

当時初出の「TV版碇シンジ」は、自分の居場所を発見できずに引きこもる、
90年代後半の若者の無力感をよく表した存在で、それゆえに多くの共感を呼んだのだ。

のちに21世紀にインターネットの力を借りて花開く、
「ミレニアム世代」の先鋒として。

ボヘミアン・ラプソディ→paranoid androidという問題定義はいまだ解決していない

だが、今更強調するまでもなく、そのような人間がネットによって居場所を与えられたのは、
ごく普通の光景になった。

90年代後半にRADIOHEADがその存在を高らかに宣言したのち、
インターネットの一般化によってその存在感がますのまでに10年近くかかった。

だから、ボヘミアン・ラプソディへのアンサー(?)がparanoid androidであることが、
たとえ美しくないと思えても、
我々はその流れの中で生きて行くしかないのだ。

彼らはようやくその存在を世間に知らせるには至ったが、
彼らが満足できる居場所はまだ、見つけられていないのだから。

それはベーシックインカムなんかでは到底達成できない、
真の心の充足のあり方なのだと思う。(その実現すらも人類はなかなかできないでいるが)

21世紀も20年が過ぎようとし、だんだんと労働の重要性が低くなってくる今、
このテーマは改めて広く考えられるべきテーマだと思った。

paranoid androidは、その問いを、20年前という時空から今の我々に投げかけ続けてくれている。

そして、その源流であったボヘミアン・ラプソディは、
音楽の可能性を大きく拡張した名曲として、
今我々の前に再び、大きな存在感を示している。

この2曲の間にあるのは優劣の差ではない。

時代が流れ、大きく変わろうとしている大きなうねりだ。

まったく、面白い時代に我々は生きている。

そんな変化の中、クソリプを吐くしかない「彼ら」。
我々は、彼らを置き去りにしたまま先に進んで、果たして良いのだろうか?

hikikomori_toukoukyohi

今、その受け皿となっているのは、amazarashiなのかも知れないね。

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キタガミ( @Kitagami_fx)です。 1日の半分を車で過ごす「半車上生活」をしています。 ノートPCひとつでできるノマドワーキングで、年商878万稼いでます。 法人代表です。 車中泊、Oculus Go、ゲーム・アニメに興味あり。

プロフィール

キタガミ( @Kitagami_fx)です。

1日の半分を車で過ごす「半車上生活」をしています。

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法人代表です。

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